第129回 イスラム原理主義組織と過激テロ集団


雑談あれこれ(^.^)

“イスラムあれこれ”シリーズの最終記事として、イスラム原理主義組織と過激テロ集団について、簡単に説明しておきます。これであなたも一端の中東通ですね!

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ハマス
アラビア語でイスラム抵抗運動の頭文字をとったもので、パレスチナ人の反イスラエル同盟団のことです。
もともとハマスはエジプトで1920年代に作られた「ムスリム同胞団」というイスラム原理主義組織のガザ地区での組織でした。ムスリムとはイスラム教徒の意味です。世俗主義とアメリカへの接近を図るエジプト政府によって、ムスリム同胞団は弾圧されていきました。その結果、第3次中東戦争からイスラエルの占領下にあったガザにおいて、ヤシン師を最高指導者として、この組織は1987年にハマスとして独立し、現在に至っています。
このとき、パレスチナ占領区では大衆蜂起、いわゆる「インティファーダ」の波が吹き荒れていました。この波に乗って、ハマスは創設され、支持を集めていったのでした。

PLO(パレスチナ解放機構)
PLOは、元来このような傾向の中で設立された「世俗主義」的な組織です。
イラクやシリアに作られたバース党も同様の組織です。4度の中東戦争でのアラブ諸国の敗北、エジプトのイスラエル和平、レバノン戦争におけるPLOの敗退は、人々に世俗主義への支持を失わせていきました。中東和平最大の問題は、パレスチナ勢力によるテロとイスラエルによる過剰報復の繰り返しにありました。ハマスだけがテログループではありませんでしたが、多くの自爆テロ攻撃は、ハマスまたはハマスの影響下にある組織によるものでした。しかし、PLOのリーダーのアラファト議長やその主流派ファタハはテロを抑えることができませんでした。

ヒズボラ
レバノンでは人口の3割近くをシーア派が占めます。ヒズボラとは、アラビア語で「神の党」を意味するレバノンのシーア派による原理主義組織です。イランとシリアの支援の下に、レバノン国内で軍事的・政治的に大きな勢力を誇っており、徹底したゲリラ戦を得意とし、イスラエルとの闘争の中核となっています。

ジハード団
イスラム国家の建設とカリフ制の復興を掲げて、武装闘争を行うエジプトのイスラム急進主義・過激派地下組織で、都市部の学生や軍人らが中心です。ムスリム同胞団に満足しない者たちが、過激な急進主義に走って生まれたものです。
エジプトのサダト大統領や閣僚、アメリカの役人に対するテロ活動を行いました。イスラム法以外の法を施行する為政者は、イスラム教徒であろうと背教者であり、ジハードによって排除せねばならないと標榜しています。
テロは聖戦(ジハード)と呼ばれ、「聖戦は自らに降りかかってきた攻撃を止めるための自己防衛の手段だ」と強調する。イスラエルとの戦いは聖戦となる。戦闘機や戦車などを使うイスラエルの「国家テロ」に対する自己防衛とみなされるからです。
自爆テロも、パレスチナでは「殉教」とみなされ、「勝利者」として天国で最高の場所を与えられます。自ら進んで爆弾を体に巻き、殉教する若者が増えるのは不思議ではないでしょう。

イスラム救国戦線(FIS)
アルジエリアで民族開放戦線に対抗して結成された組織です。

タリバン
アフガニスタンの原理主義勢力です。タリバンとは神学生という意味で、もともとはイスラム神学校の学生グループによって組織されたものです。一時はアフガニスタンの9割を支配する勢力となりましたが、アルカイダに基地を提供したと言う理由で、米軍と北部連合の攻撃を受けて崩壊しました。

オサマ・ビンラーデン
1957年、サウジアラビア最大のゼネコンオーナーの子として生まれた大富豪です。
湾岸戦争時にアメリカ軍がサウジに進駐すると「イスラム教の聖地アラビア半島への侵略である」と怒り、サウジ王室とアメリカへの批判運動を展開しました。
98年ナイロビとタンザニアのアメリカ大使館爆弾襲撃テロの首謀者で、イスラム原理主義者です。   
エジプトの過激原理主義組織「ジハード団」と「世界イスラム戦線」を結成し、「アメリカとその同盟者は軍人、民間人を問わず殺害するのが、イスラム教徒の宗教義務」とする旨のイスラム法判断を発した超過激テロリストです。

スンニ派内のハンバリー派
イスラム原理主義の母体となった宗派です。
ハンバリー派は、現在さらに過激なワッハーブ派(ハンバリー派の考えを貫くために、武力行使も正当化する)がほとんどを占めてしまっています。
サウジアラビアの国教です。タリバンやパキスタンの神学校も多くがワッハーブ派の支援の下に運営されています。アルカイダは、ワッハーブ派を主体としたテロ組織です。

スンニ派内のマフディー派
イスラムの敵に武力を持って立ち上がらない者は、ジハードの対象となるとする考え方で、スーダンで有力です。

スンニ派のムスリム同胞団
エジプト中心で、イスラム原理主義的考え方ですが、むしろ自衛的性格が強く、無差別テロなどはあまり行いません。イスラムの貧困者救済が中心です。

シーア派内のニザール派
すでに説明した通り、「アサシン」の別名を持つ暗殺集団です。

ハワーリジュ派
スンニ派でもシーア派でも無い宗派です。
スンニ派、シーア派両派への暗殺、テロを繰り返し、両派から弾圧を受けた宗派です。
オマーンやイエメンにいますが、現在では勢力が小さく、ほとんど影響を持ちません。



アップデート2015年1月24日

イスラム国とは
2014年6月29日、ISIS(ISIL)の最高指導者アブ・バクル・バグダディが樹立を宣言した国。ISIS(イラク・シリア・イスラム国)が制圧したシリア北部のアレッポからイラク中部のディヤラまでを領土とし、シャリア(イスラム法)に基づく、スンニ派のカリフ(イスラム教開祖・ムハンマドの正統な後継者)制イスラム国家とうたう。バグダディは新しいカリフを自称し、世界中のスンニ派イスラム教徒に忠誠を求めている。しかし、国際社会は独立国家として認めず、近隣イスラム諸国も地域の安全を揺るがす脅威と危険視している。
ISISの母体は、イラク戦争(03年)後に結成されたアルカイダ系過激派組織とみられる。反欧米・ジハードを掲げ、11年に拡大したシリア内戦に加わると、シリアや周辺国から流れてきたスンニ派武装グループを吸収し、急速に勢力を拡大した。同時にイラク・シリアにまたがるイスラム国家樹立を前面に出すようになり、アルカイダとも対立、袂(たもと)を別った。14年に入ると、シリア北東部をほぼ制圧し、イラク北部に侵攻。6月上旬にはイラク第2の都市モスルを陥落し、イスラム国家樹立の拠点とした。なお、ISISはより広範な地中海東部沿岸地域(レバント)での国家樹立を目指していることから、ISIL(イラク・レバントのイスラム国)とも呼ばれる。
実動部隊は1万人余りと見られるが、短期間でシリア~イラクの広範な地域を支配下に入れた背景には、スンニ派住民のマリキ政権(シーア派)に対する強い不満がある。フセイン政権崩壊後、シーア派主導で国家再建が進められ、スンニ派は蚊帳の外に置かれた。イラクの人口構成はシーア派6割、スンニ派2割、クルド人2割だが、北西部はスンニ派が多数を占めている。反シーア派を鮮明にしているISIS(ISIL)は、残虐なテロ集団という報道がある一方、支配下に置かれたイラク北西部のスンニ派住民や、カリフ制再興を望んでいた国内外のイスラム教徒からは、一定の支持を得ているとも伝えられる。(コトバンク:知恵蔵2014の解説by大迫秀樹氏)