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zoom RSS 第150回 不倫は文化である

<<   作成日時 : 2011/09/13 07:41   >>

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 雑談あれこれ(^.^)

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時代の流れの中で、不倫はセフレやPMと名を変え、罪悪感も薄れて巷間に溢れています。
これまで深くも考えず、当たり前の言葉として使ってきた「道徳」と「倫理」について、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
「道徳」とは、「人としての道」であり、「倫理」とは、「社会の中で、人として生きていく場合の自己規範である」と言われます。そして、「不倫とは人にあらざる道」と理解してきました
非常に概念的で曖昧な表現です・・・ここでいう「人」、「社会における自己規範」とは一体何なのでしょう?

社会規範
私たちは社会生活において、社会集団の方向性と秩序を保つため、社会規範を遵守しなければなりません。社会規範とは、「法」、「慣習・習俗」、「道徳」などのことです。
先ずは、これらの言葉の意味と違いをはっきりさせましょう。

◆ この中で、法は正当な公権力によって成文化されたルールで、普遍的かつ強制的に適用されるものです。

◆ 習慣とは、基本的に個人の日常的に繰り返される行動様式を指しますが、集団に共有される様になった場合は「慣習」と呼ばれます。個人的な習慣と異なり、共同体的な慣習は、社会秩序を維持するための「遵守」が求められます。
習俗は慣習と同義語で、習慣、風俗、風習のことです。
慣習と習俗のいずれも、生活の必要にもとづき、長い年月の中で形成された、いわゆる「習わし」と呼ばれるものです。因みに、好ましからざる「習わし」は「因習」と呼ばれます。

◆ 道徳とは、内面化された価値で、望ましい行動原理のことです。それは善悪の判断という基準を中心においた規範体系をなしており、「良心」の形成に特徴があります。

◆ 「伝統」とは、このような慣習・習俗や道徳が引き継がれたものであり、長久の経験から生まれた深遠な意味や価値が含蓄されています。

◆ これらの社会規範は、時代の流れの中で、往々にして重なり合ったり対立しあったりします。そして日本文化は、このような要素を全て含んだ伝統文化だと言われています。

私たちは、こういったことを専ら美学としての見地から教えられてきました。どうやらその辺りに大きな落とし穴があるようです。

日本の刑罰史
角度を変えて、日本の代表的な刑罰を振り返ってみましょう。

1.大宝律令(飛鳥時代)
文武天皇により制定公布された、日本最初の国家基本法で、民間社会の秩序実現を第一の目的としていました。「律」は刑法、「令」は行政一般の法令のことです。
定められた刑罰は、「笞・杖・徒・流・死」で、「笞・杖」は鞭打ちの刑、「徒」は懲役刑、「流」は島流し、「死」は死刑です。死刑は、従来の残虐な殺害方法は廃止され、「絞」と「斬」だけが定められました。
明文化された姦通罪は未だ存在していません。

2.御成敗式目(鎌倉時代) 
武士という軍事勢力が台頭し、武士自身によって作られた刑法典が「御成敗式目」です。
死刑の威嚇による軍規の徹底と、戦闘力維持の方策が、禁止罰則の体系となっており、民間社会の秩序は第二義的でした。つまり軍規要請上の行儀作法体系が中心で、大衆は軍事下部層と看做され、これに呼応させた罰則体系でした。
軍人の妻の不義密通は、即刻戦闘力の低下に繋がるので、「姦通罪」という罰則が定められました。「御成敗式目」では、不倫はまだ死罪と定められてはいませんが、男性は陰嚢、もしくは生殖器の切除、女性は性器の縫合、または刃物で性器をえぐり取るなどの刑罰が行われました。
やがて時代が戦国の世に入れば、残虐な手段による武士同士の死刑執行は日常となります。被告を立たせておいて縦方向に体を一刀両断にする「断ち割り」、磔にして、肛門から口に抜けるかたちに槍を突き通す死刑、地面に首だけを出して埋め、竹製の鋸でゆっくりと首を挽いて殺害する処刑、釜ゆでによる処刑などが、見せしめのために公衆の面前で行われました。
戦国以降は、著名大名家にそれぞれ伝わる刑法に、「不義密通は死罪」とはっきり規定されるようになり、不倫相手ともども上下に重ねて寝かせておき、一刀両断で体を四つにする斬刑も行われるようになりました。

3.御定書百箇条(江戸時代・・享保の改革)
江戸時代に入り、八代将軍徳川吉宗の時代に、「御定書百箇条」が制定されました。
刑罰内容は、大別すると「死刑」、「肉刑」、「追放刑」、「奴隷刑」、「自由刑」、「労役刑」、「財産刑」です。「肉刑」とは鼻そぎ、耳そぎ、入れ墨、笞打ちなどのこと。「追放刑」は江戸払い、流刑のこと。「奴隷刑」は罪人を大店とか名家に預けて生涯労役をさせ、生殺与奪の権限を家長に与えるものです。「自由刑」は収監や手鎖などの刑罰で、「労役刑」は懲役のこと。「財産刑」は財産を没収する刑罰です。
この刑罰もまた、武士という軍事力が行使する刑罰であり、その目的とするところは戦闘力の維持です。即ちここでも死刑こそが最大関心事であって、これ以外の刑罰は付け足しといえます。
死刑の方法は、「下手人」、「死罪」、「斬罪」、「火罪」、「獄門」、「磔」、「鋸挽」、「切腹」です。
江戸時代は儒教が社会道徳の基本だったので、もちろん「不義密通」はご法度であり、この御定書百箇条には「四十七、密通お仕置の事」という箇条があります。御定書百箇条に定められた「不義密通」の罰則は、妻と相手の男、更に手引きした者も死罪です。

4.新律綱領(明治維新)
明治新政府が国家間戦争を目前にして公布した刑法が、明治三年の「新律綱領」です。
これは天皇の、政治の表舞台への復帰なので、かたちの上では「笞・杖・徒・流・死」の「大宝律令」を復興する体裁となっています。しかし廃止された江戸期の処刑法は火罪と鋸挽きだけで、磔、獄門、切腹は依然残されており、明治五年になってようやく鞭打ち刑が廃止されて、死刑は、大宝律令の持っていた絞と斬のうちの、絞首刑のみの採用となりました。
翌六年になると徒と流が廃止になり、死刑囚に十七段の階段を登らせてから綱の輪に首を入れさせ、床を落として絞首する降下式死刑装置が、欧州のものを模倣して造られ、採用されました。
姦通罪は1907年(明治40年)に公布された刑法の罰則規定として、夫のいる女性が別の男性と関係した場合に適用され、2年以下の懲役と定められています。既婚の男性が未婚の女性と関係した場合は処罰の対象外でした。
このように、刑法の定める内容は漸次改善・緩和されてきましたが、武士の時代の終焉は、国家間戦争の危機へ繋がり、規律維持を旨とする軍人の刑法の精神は、本質の部分では変質しないままに継続しました。

日本の刑罰史の特徴は、宗教が為政者や軍よりも上位に立つことが出来ず、武士及び軍隊が政権を独占掌握し、国民を配下と見做して服従の行儀を求め、死の威嚇によって軍隊的な秩序を現出してきたといっても過言ではないでしょう。
そして同時に、今日の日本人が持つ行儀偏重と、禁止罰則の日常感性は、こういう日本軍事史の下流に位置しています・・・(余談)現在に至りダイエットを語る時でさえも、このような行儀作法の感性が見え隠れしています。
因みに、姦通罪は、第二次大戦後の日本国憲法の改正で、「男女平等」の条項に違反するため廃止となりました。現代では、「不倫・浮気」を刑法犯罪として処罰する法律はありません。民法上では、肉体関係がある場合に限り、不貞行為として規定され、婚約者や夫や妻、そして夫や妻の不貞不倫相手に対して慰謝料請求権や離婚訴訟権を認めているものの、あくまでも罰則規程ではありません。

なお、イスラム社会では、不貞行為は現在でも重罪です。
「既婚女性の婚外交渉は斬首または石打ちの死刑」、「未婚者カップルの性行為は百回のむち打ち刑、もしくは女性に対して石打の死刑」など細かな規定があります。
御隣の韓国にも姦通罪はあります。

次に、日本の婚姻制度と性風俗について調べてみました。

婚姻習俗
厳しい身分制度の下で、武士と一般庶民では生活慣習が異なっていました。武士は「嫁入婚」、庶民は「婿入婚」でした。明治に入り婚姻法が制定され、一夫一婦制が導入されました。また、身分制度も廃止され、大正・昭和を経て、嫁入婚が主流となりました。

◆ 武士の婚姻(嫁入り婚)
武士階級では男子でなければ家督を相続できません。一人の女性では嫡子を確保するのに不安があるので、複数の女性を側室として抱えるのです。このような武士の多妻婚は家を守るための防衛手段だったです。武士以外にも、裕福な人達は家を守るために側室を持つことが普通でした。

◆ 庶民の結婚(婿入り婚)
婿入り婚とは、一定期間、男性が妻となる女性の家に通います。そして女性が男性の家に「嫁入り」するのは、男性の母親が家事の一切の権利を譲るときです。従って、子沢山で嫁入りするのは当たり前のことでした。お互いに歩いて通えるような距離にすむ間柄で、村内婚とも呼ばれていました。

夜這い/若衆組、娘組
若衆組とは、村を支える集団の一つで、15歳位に達すると加入し、ようやく村で一人前として認められました。若衆宿などといわれる拠点があり、そこに寝泊りしたり、共同で作業したりする場合が多かった。村内の警備や様々な作業を行ったり、集合して親睦を図ったり、特に祭礼では、若者組のメンバーが中心的に運営を行う場合が多かった。

男性の若者宿に対して、同じ年頃の女性が集まる娘宿の存在する地域もあり、この場合、双方の交流によって結婚相手を探すという意味がありました。若衆組は村内の恋愛、性、結婚を管理する側面を持ち、「村の娘と後家は若衆のもの」と言われました。

婿入婚、若衆組という固有の生活様式の中で、夜這いは、村の置かれた現実の経済状況に対して、村落共同体という自治集団を維持していくための実質的な婚姻制度、もしくは性的規範とされていました。もてる娘には複数の若衆が通って来る。複数の婚前性交渉の結果、妊娠し父親が定かではない場合は、父親の指名権は娘にあり、若衆には拒否権はありませんでした。

明治維新以降、夜這いの風習は、外国人のキリスト教の宣教師や教育者から倫理的な視点からの厳しい批判を受けたこと、さらに武士の倫理を反映した教育勅語的な倫理観と整合しないことから、若者組は衰退し青年団に再編されました。しかし夜這いの風習は、地域によっては昭和30年代頃まで残っていました。

群婚
山間部に存在した狭い集落では、長い期間の中で血を濃くし、事実上の近親婚状態を生み出したため、少しでも血が濃くなるのを防ぐため、群婚という不特定多数の男女が関係を持つ習慣が生まれました。これも因習として廃れていきました

公娼制度
江戸幕府を開くにあたり、江戸城の建設や武家屋敷の整備のため、関東一円から人足が集められました。これに則して遊女屋が点在して営業を始めました。幕府が、この散在する遊女屋を特定地域に集合させ公認したのが「吉原遊郭」であり、江戸の公娼制度の始まりです。
幕府は、遊郭を公認する見返りとして経営者から冥加金(上納金)を受け取ることができ、まとめて管理することが可能になったのです。また、京都、伏見、兵庫、大津などにも公認の遊郭が設置されました。
吉原が繁盛することで、幕府への上納金も増えましたが、非公認の遊女屋も増え続けました。
非公認の遊女屋が集まる歓楽街を「岡場所」と呼び、彼らからは冥加金が取れず、さらに風紀が乱れ、幕府にとっては大きな問題となっていきました。この取り締まりが最も厳しくなるのが「享保の改革」の期間で、町奉行は組織的な摘発作戦を開始しました。

明治以降、芸娼妓解放令が出され、遊女屋は「貸座敷」と名を変えましたが、遊女は相変わらず「籠の鳥」であり、自由な外出もできず、人身売買の実態は江戸時代と同様、旧態依然の状態でした。
大正・昭和にかけて、これらは赤線区域と名前を変えて、昭和33年に売春禁止法が制定される迄は、確かに合法的に存在しています。つまり、戦前においては女性の浮気・不倫は社会的に許されないものでしたが、男性の浮気・不倫は昭和33年まで許されていたということです。
今でも、女性の浮気は「不貞」、男性の浮気は「甲斐性」、そして男芸人にとっては「芸の道」だという言葉を耳にします。

慰安所
慰安所とは、旧日本軍が戦地・占領地で設置・利用した売春施設です。その実態は強制売春・奴隷的状態であり女性への甚だしい人権侵害であったと言われます。

日本人の貞操観念
以上のことからも、法規制や習俗・慣習というものは、往々にして重なり合ったり対立しあったりすることが良く判ります。それにしても、日本人は本来、性に対して奔放であり、貞操観念は極めて低いということが覗えます。

伝統文化の変遷期
史実として、仏教やお茶の伝来など朝鮮半島や中国との交流、日本資本主義の起点で、政治・経済・社会・文化・教育・防衛の大変革をもたらした明治維新と文明開化、そして敗戦後のGHQによる政治経済体制の再構築は、伝統文化の変遷と形成の過程に於いて、非常に大きな節目となりました。

明治新政府は、日本の歴史や文化の継承を重視せず、列強に追いつくための政策と、旧体制の影響力を排除し、文明開化が効率よく推進するためのさまざまな政策を展開しました。
当時の最高権力者である伊藤博文は、日本の芸術であり作法の原点でもある着物を外交や公式の場から追放し、公式の場での料理は洋食正餐と定めるなど、余りにも自国の文化や伝統を否定し、ヨーロッパのものを一方的に導入し過ぎたことは周知の通りです。
また第二次大戦後は、ヨーロッパ思想である民主主義の時代に入り、エポックとも言える大きな変遷期であったことは疑いのない事実なのです。
日本の現代文化はここから始まったと言っても過言ではないでしょう。

文化人類学(文化相対主義)
政治学、経済学、社会学、法学、心理学といった様々な学問の分野がありますが、「文化学」という学問は歴史が極めて浅く、「文化人類学」という学問が、総論的な文化の問題を取り扱っていますが、その中で、米国の人類学者フランツ・ボアズが提唱した「文化相対主義」という考え方が、第二次大戦後に世界的に広がり、支配的な考え方として現在に至っています。
文化相対主義とは、個々の文化はそれぞれ固有の価値を持っており、自文化/異文化の優劣の差をつけるのは不適当であるという考え方です。つまり、個々の社会集団の文化は、一見して野蛮ないし未開に見えるものでさえ、決して過去に存在した文化の化石ではなく、実際には、与えられた条件に最大限に適応しつつ、今日まで発達してきたものであるという見方をしています。

文化とは
それでは、具体的に文化とはそもそも何でしょうか?
人類最初の文化は、日常生活を快適にするために、知能を使って行動することで形成された「生活の文化」であり、そこから派生した「感性の文化」と「知性の文化」が、相互に影響を及ぼし合いながら発展して来たものです。

◆ 生活の文化
生活の文化とは、衣食、住居、言語、宗教、冠婚葬祭、教育、通信、厚生、法務から、社会活動、経済活動、政治活動、政治制度まで、我々の日常生活の全てが生活の文化の構成要素となっています。
生活の文化は、日常生活をより快適にしたいという欲求を主な動機として発展して来たものですが、社会制度や習慣の中には、日常生活や社会全体を快適にしたと言えるかどうか疑問が生じるものも少なくありません。文化には、良いものだけではなく、迷走したものや、人類や社会にとって有害なものもあるのです。その代表的な例としては「生贄」が挙げられるでしょう。これは肉親にとって快楽どころか、正しく苦痛以外の何物でもない。家族に苦痛を与えると云う意味では不倫も同様でしょう。「自分だけの」偏った快適さの追求は、文化ではなく欲望であり、良い文化とは社会性を伴う快適なものなのです。

◆ 感性の文化
感性の文化とは、音楽、美術、演劇などの芸術や文芸のように感性に訴える部分が大きい思考・行動様式です。 感性というのは、人間の五感に入ってくる印象をうけとめる能力、もっと端的に言えば、美しいものを美しいもの、心地よいものを心地よいもの、あるいは醜いものを醜いものとして認識し、判定する能力です。このような感性に訴える文化の中心に位置するのは、言うまでもなく音楽や美術をはじめとする、いわゆる芸術なのです。

◆ 知性の文化
知性の文化は、学問・論理の領域です。つまり、感性が物事の美醜を直感的に感じ取る能力であるとすれば、知性は物事を論理的に考える能力です。従って、知性の文化の中核を成すのは、論理的な思考を体系づけ、深めてゆく知的な活動なのです。

われわれが文化について語る場合には、これら三つの中のどの文化を念頭に置いているのかを明確にしておかないと、話しは噛み合わないことになります。
文化をこのように分類して見た場合、上述の文化相対主義は、植民地主義が横行していた時代の、人種差別観に対しては効果的な理論であり、且つ、感性の文化の分野では妥当性をもって適用される理論ですが、生活の文化には必ずしも全面的に受け入れられる考え方ではありません。

文化の担い手

◆ 中核集団とマスメディア
人間集団としての社会が纏まって存続して行くためには、その社会のあり方と価値観を方向づける中核的な存在が不可欠です。人類の長い歴史を通して、国王と貴族集団がその役割を果たして来ましたが、独裁的な権力者、軍が圧倒的な権力を掌握しているケース例も珍しくありません。
日本の場合は、社会のあり方を方向づけている中核として政・財・官の三極構造が挙げられます。
また、マスメディアは、中核集団の重要な一角を構成し、社会的影響力を行使する存在として、特別な役割を果たしている。

◆ 知識人
史実が示しているように、生活の文化の質的向上を可能にするのは、知性の文化と感性の文化です。そして知性の文化の担い手は、哲学者や思想家、あるいは学者たちを中心とする知識人や有識者です。
知識人や有識者の中には、著名な学者や文筆家だけでなく、知性の文化の分野で相当程度の水準に到達し、高度の論理的思考能力と言語的表現能力を備えている人々も全て含めます。このような知識人ないし有識者は、学界や文壇以外にも、社会の中核集団、更にはそれらのいずれにも属さない人々の中にも、顕在的にあるいは潜在的に少なからず散在しています。

◆ 一般大衆
一般大衆も生活の文化の担い手です。一般大衆が知性と感性を磨く機会を得て、それぞれの立場を通じて生活の文化にひとつの方向性を与えることができれば、中核集団にさえ影響を及ぼすことも可能なのです。しかし、一般大衆には、知識人とは呼ばれないまでもそれに準ずる見識を持っている人や、中核集団には属していても、そこでの地位等の関係で中核集団の構成員としての意識が薄い人から、知識人見習い中の学生や、漫然と遊び暮らしている若者たちまで、全てが含まれています。従ってこれらの人々の全てに同じ手法で知性の論理を提示しても、期待通りに受けとめてもらえるかどうか疑問です。経験や知的能力の違いから受け取り方や理解能力に差があるので、対象に応じて説明の仕方を変える必要があるでしょう。

人間は、この世に生を受けてから、親や年長者の影響を強く受けて成長していきます。しかし、自我の発達に伴って、自分自身の物の見方、考え方すなわち価値観が形成され始めると、通常は、次のような過程をたどります。

ケース1
自分自身だけにかかわる個人的な問題として、突き詰めて考えて行く。この場合、先人が切り開いてきた哲学や宗教が、ヒントを与えてくれることもある。また行き詰まって心の支えを失うと、自殺などによる思考の停止に救済を求めることもある。実際には、この内面的な問いかけに、心から納得できる解答を得ることは、簡単ではありません。

ケース2
「如何に生きるか」といった、自分自身の内面、或いは神との対話に関心のない人や、論理的に突き詰めて考えるのが苦手な人も、なんらかの価値観なしに生きて行くことはできません。そのような場合に、特定の指導者、師、ボス、あるいは自分の所属する会社、官庁、宗教団体、各種グループに同一化し、そのような特定の人物や組織の価値観を、そのまま自分のものとして受け入れるという選択があります。ただし、本人は、借り物の価値観ではなく、あくまでも自分自身の価値観であると信じています。身近なところではいわゆる会社人間等がその例ですが、実際には、人類の歴史を通じて、このタイプの人間が圧倒的に多かったものと思われます。

ケース3
上記@にもAにも該当しないケースで、この場合には、はっきりした価値観がないため、この人々の思考や行動の基準は、その時々の気分や欲望が中心となり、気の強い人は自分勝手に、気の弱い人は不特定の周囲の影響に左右されて、いずれも首尾一貫しなくなりがちです。
しかし、実際には、このような人々も、社会の中で生活している限りは、その社会の価値観ないし規範に、進んで協調しないまでも消極的には従っている場合が多い。
このような人々は、社会的規範を逸脱しない限り、その知恵と才覚で、世俗的な成功を収めることも珍しくないですが、内面的拘束力に欠けるところがあるため、周囲の状況次第では、しばしば脱線したり、社会的規範を無視したり、時には犯罪行為に走ってしまうこともあります。
民主主義思想・人権思想の普及に伴い、国家や社会集団の拘束力や強制力がゆるんで来た社会では、このような、人々がますます増加しています。

浮気・不倫は本能か
特に米国では、性に対する解放運動が盛んです。日本でも、性に対する意識の改革が急速に進んでいます。しかし性の解放とは、不特定多数の異性との性行為を許容するものではありません。
さて、浮気・不倫は人間の本能だという人達がいます。果たしてそうでしょうか!

◆ 浮気と不倫の定義
浮気と不倫の違いは概して大差はないと思いますが、世間一般では、浮気よりも不倫の方が、問題が深いものと定義しています。

一般的な意味での違い
浮気とは、単に遊び心で一度程度の性的交渉のもので、セックス目当てで愛情が芽生えることはなく、今の家庭を捨ててまで結婚する気持はないものです。
一方、不倫とは、単に遊びと言う枠を超えて、肉体的・精神的に惹かれあい、機会があれば家庭を捨ててまで結婚を考えるような関係で、離婚に至るケースが多いものです。

法務的な意味での違い
浮気とは、婚姻をしていない男性及び女性が、恋人がいるにも関わらず、他の異性に恋愛感情を抱いたり、性的交渉を持つこと、若しくは、既婚者で配偶者がいながら、他の異性と性的交渉が無くても、デートや食事や遊びに行ったりすることです。
一方、不倫とは、配偶者のある男性及び女性が、他の異性と性的な交渉を持つことです。つまりこれが「不貞行為」となり、不貞行為は民法770条の離婚原因となります。配偶者が会社の同僚異性とデートをしたのでは不貞行為とは言えません。

◆ オスの本能
オスは、自分の遺伝子を多く残し、且つバリエーションを広げるため、出来る限り不特定多数のメスと交配しようとします。メスは、強く立派な子供を作るため、更に強くて優秀なオスの遺伝子を取り入れようとします。換言すれば、オスは「より多くの遺伝子」を、メスは「より優秀な遺伝子」を残そうとするのです。
野鳥の殆どが一夫一婦制のカップルで、仲の良い夫婦を「オシドリ夫婦」と言いますが、DNA鑑定をしてみると、実は、鳥の世界でも不特定多数との交配があることが判りました。どうやら鳥の夫婦が仲よさそうに行動をともにしているのは、オスがメスの浮気を警戒してのことのようです。
人間の世界でも同様に、男性は「種まき」の本能があり、女性は「畑」だと言われることがあります。

◆ 浮気・不倫は本能か
人間は他の動物と違って、自我や理性を持っており、夫婦間の裏切り行為への躊躇、家庭崩壊や離婚の危惧、社会的な名誉の喪失、経済的負担といった一連のプレッシャーが、セックスをしたいという欲求を削ぐ役割をします。一回限りの浮気であれば、本能と言えるケースもあるでしょうが、不倫は複数回の行為であり、決して本能ではありません。
加えて、「性欲」は三大欲でもありません・・・第99回の「欲について千思万考」

最後に
このブログで云いたいことは、浮気・不倫も広義の意味では「生活の文化」の構成要素のひとつですが、自分だけの快楽の追求であり、間違いなく文化の中で有害と言われるカテゴリーに分類されるものだということです。
しかし、男性社会を機能させる封建主義・軍国主義の考え方を源流とする昔ながらの道徳、倫理、伝統という概念的な言葉で以って、現代社会に於ける不倫や浮気を諌めようとしても、今ひとつ説得力がありません。しかも、史実が物語るように、不特定多数とのセックスは太古の昔からあるのですから。そういう意味では、今後は不倫ではなく、不貞と呼んだ方が良いかも知れない・・・ふてぃ野郎だ!語呂もいい(笑)。

浮気・不倫を無くす方法論は語ることが出来ても、現実的には以上述べたように根絶することは難しい。
そして、ひとたび民主主義的政治を経験した社会では、もはや、再び国家や社会集団の強制力を強めて、その構成員に対する強度の締め付けを復活させるわけにも行かないでしょう。
そうかといって、自由が暴走し不倫が蔓延してしまうと、社会の秩序は崩壊の方向に向かいます。
そういう意味で、問題の即時全面解決にはならなくても、歯止めと云う視点から、文化の担い手である中核集団、マスメディア、知識人および良識ある一般大衆が中心となり、社会的に無関心(Apathy)あるいは無関心を装う人達を少なくしていこうという意識と努力により、プロパガンダを続けていくことは、とても重要なことです・・・マスメディアが不倫を煽るような番組を制作し、中核団体や知識人の人達の中にも不倫するものが後を絶たないのが現状ですが。

参考文献
「文化とは何か」 文化問題研究所長 笹口 健氏
「四大刑法典にみる死刑の歴史」 島田 荘司氏
「文化としての婚礼」 婚礼辞典
「浮気・不倫相談室」 中野行政法務事務所








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