第888回 ロシアンティー


ロシアよもやま話 (^.^)

クリミア紛争による経済制裁もあって、一段と「近くて遠い国」になってしまったロシア。ロシアについては、似て非なる形で、日本流に解釈あるいは変えられて我々の日常生活に定着しているものが少なくありません。そうした事象を一つ一つ取り上げて真の姿を知って頂こうという企画です。題して「ロシアの真実」、たかがよもやま話に随分と大仰なタイトルをつけて恥じ入るばかりですが、こうした大言壮語を良い意味でのプレッシャーとして、皆様にご興味をお持ち頂ける“エピソード”を発掘していきたいと考えております。
まずは初回として「ロシア紅茶(ロシアンティー)」についてお話しさせて頂きます。

画像


画像


コーヒーに押され、影が薄くなってしまったとはいえ、優美な茶碗を手にして微笑む貴婦人そのままに紅茶にはゆったりとしてエレガントな雰囲気があります。イギリスのイメージでしょうか。
それでは、イギリスではなく、“ロシア紅茶”というものをご存知ですか? 
いや、そもそも“ロシア紅茶”という言葉自体をお聞きになったことがおありですか?
コーヒー党の方には、興味なしの一言で一蹴されるかもしれませんが、お聞きになったことがおありの方は、その意味するところをご存知でしょうか?
筆者の体験では、かつて多くの方が「ロシアでは、砂糖の代わりにジャムを入れて紅茶を飲むので、その飲み方をロシア紅茶と呼ぶ」と考えておられました。今でもそのように誤解しておられる方が多いようですが、正確には、別の小皿に盛ったジャムをスプーンですくって舌にのせ、そこで紅茶を一口飲み、口の中でジャムの風味と紅茶の香りを楽しむのが正統ロシア紅茶の流儀です。
筆者はその昔、直接ロシア人に確認したことがあります。

筆者:茶碗の中に砂糖代わりのジャムをじかに入れたほうが手っ取り早いでしょ。日本では、それをロシアンティーと呼んでいます。

回答:茶碗の中でジャムがきたならしく舞うさまを見たら、飲む気にはなれない。
味も画一的になる。一回ごとにジャムを口に含むことで、毎回違う味の紅茶を味わうことが出来るし、ジャムについては苺、桃、柑橘系からバラの花びらに至るまで様々な味を品評することも可能だ。何よりゆったりとお茶の時間を楽しむことが出来るんだよ。

なーるほど、ロシアンティーとは日本の茶道にも通じるものがあるのだと納得したものです。

画像


以上が本題ですが、以下は、旧ソ連時代、正確には1980年代に筆者がモスクワにて最初の駐在生活を送った当時の話です。既に筆者は正統ロシア紅茶については知っていましたが、今一つ素朴な疑問がありました。ジャムではなく、左手の指先でつまんだ角砂糖(四角ではなく長方形でした)を一口かじり、右手で茶碗を口に運ぶロシア人を頻繁に見かけていたからです。砂糖も茶碗に入れずにかじるのだろうか? この疑問は先輩社員の説明で氷解しました。当時、サトウキビからつくる砂糖は主として友好国のキューバから輸入されていましたが、高級品であり、また一般のロシア人には出入りが禁止されていた外国人専用の外貨払いショップにて優先販売されており、庶民の口に届く角砂糖はと言えば、厳寒の祖国でも栽培が可能な“てんさい(砂糖大根)”を原料とした固くて糖度の低いものが主流だったのです。試しに、熱い紅茶にてんさい角砂糖を落としてみましたが、固いままで溶けません。スプーンの先で角砂糖をつぶそうと力を入れてもうまくいかず、結局のところは、溶けない角砂糖をわきに押しやって、甘くない紅茶を飲むことになります。当時のてんさい角砂糖はかじるほかなかったのです。こちらは生活の知恵に起因したもう一つの、そして切実なロシアンティーでした。
ここで読者の方に誤解を与えぬように注釈をつけさせて頂きますが、てんさい由来の砂糖
が、サトウキビ由来の砂糖より糖度が落ちたり、また固かったりする理由はありません。
むしろ今ではオリゴ糖等の滋養に富み、推奨される食品となっています。偏にソ連時代の
角砂糖の製造法に帰することをお断りしておきます。因みに、当時のモスクワで目にした
紅茶は、インド、セイロン(現スリランカ)からの輸入品でした。

画像


時代は変わり、2010年代に入ります。
筆者がモスクワで2度目の駐在生活を送るころには依然紅茶人気は根強いものの(伝統のロシアンティーは茶器、茶種、ジャムすべてに高級感を煽ったものが多くなりましたが、砂糖は店名をデザインしたおしゃれな小袋に入った粉砂糖が主流となり、もはや溶けない角砂糖は見当たりません)、若者を中心に紅茶離れ、コーヒー嗜好が強くなりました。モスクワの米国大使館内に一号店を開店したスターバックスが街に出て出店を開始すると、コーヒーハウスやショコラードニッツアといったローカルのコーヒーチェーンも加わりコーヒーショップの出店競争が繰り広げられました。
カプチーノ、エスプレッソといった注文が飛び交う空港内のカフェで気取った日本人ビジネスマンが“ダブルエスプレッソ”を注文し、運ばれてきた2杯のエスプレッソを見て、周りの同僚が大笑いしていました。珍しいもの好きのロシア人にも、当時は“ダブルエスプレッソ”が浸透していなかったと思いきや、実は本場イタリアでもダブルエスプレッソの注文には、エスプレッソ2杯で応じるのが普通のようで、日本流のカップ1杯のダブルエスプレッソは国際標準ではないようです。(了)

(註)
“ロシアの真実”はTG様からの御寄稿です。


関連記事
第75回 紅茶の歴史
第73回 コーヒーの歴史